親を大事に思う友達の話を聞き、類友を感じた件。

「色々と溜まりに溜め込んでしまったので聞いてくださいよ、今度」
このように同業の友人に言われ、先日やっと機会が設けることができ、その席でのこと。友人の奥さんのお父様が2カ月ほど前、闘病期間2週間という短さで癌で亡くなりました。その際、私の友人夫妻は知らせを聞き、当然のように仕事を早退し、お父様の入院する病院に急行。奥さんの弟は未婚で沖縄で仕事をしていたため、そこから駆け付けましたが、一日遅れになりました。これは仕方がありません。しかし、奥さんの姉は病院から一時間ほどの場所に住んでいながら、理屈をつけて、いつ来るのかも分からない状態。これに友人が激怒!「自分の親の急な知らせに駆け付けないなんてあろうことか!」と思い、「そんなに来れないなら、これから僕が車で迎えに行きますから」と言うと渋々?電車で来たそうです。
「僕の頭の中ではあり得ないことなんですけど、どうですか?」となぜ、友人が私に聞くのかというと私が実父を2年前に亡くし、仕事をしながら闘病生活をできる限り助け、危篤の際には車で3時間かけて駆け付け、父との最後の会話を果たしたからかも知れません。闘病生活にかかるお金の面倒もみたことも知っていますので、ある意味、手本として私が映っているのかも知れません。上手くいっている、普通の親子の関係なら私はあり得ないことだと思います。しかし、親と上手くいかなかったのかも知れません。一筋縄では済まない問題ですし、友人としては義理の関係ですから「それ以上は踏み込めないですよね、どうか表情や言動に出してしまうと余計なトラブルを生みますから、グッと我慢ですよね」と答えました。
自分が良ければ全て良し、損得勘定を考えて面倒くさいことには知らんぷりだったり、ごねる人っています。家族の不幸があった際には、こんな性格がより浮き彫りになったりするのですが、経験上、その時には楽に振る舞えて済んでしまうかも知れません。でも、トータル的に幸が少ない人になってしまうと私は感じます。親と子の関係が上手くいっている人は、友人にも恵まれ、周囲の人全てと上手くいき、大きな幸せを得ると感じます。同じような感覚の人が最終的に集まる形となりますが、この現象が類友に繋がると思います。この友人と友人になれたというのは、偶然でなく必然的だったんじゃないかと思います。